「今日一日を後悔なく過ごせただろうか」
一日を振り返るときにこの問いに対して
「今日はやりきったなぁ」と思える時は
沢山のご縁や機会を頂いたままに受け取れた時のように感じます。
「本当はこう思っているけれど」
「やりたいけれど~だから」
と、あとから実はこうだったという
「やれなかった言い訳」を探す必要もなく、
そんな自分をも受け入れて、
だから今日は前を向いて一つ前進しようとして
今日も昨日の自分から学んで一つ挑戦できた。
挑戦する機会を自分から選んで逃したりせず、
丸ごと受け取れた!
そう思えることが、自分自身への自信へとつながると同時に
周りへの感謝へと心が変わるときのように感じます。
子どもたちは保育園で
「先生に言われたこと」や「やらなきゃいけないと教えられたこと」
や「常識と思われること」
をやっているときよりも、
「自分がやりたいと思ったこと」「自分で挑戦したいと思ったこと」
「誰かの役に立つこと」「誰かにされて嬉しかったこと」
「かっこつけずに素のままでいられること」
をやっているときの方が主体的なだけでなく、
自分自身を認められたり、誇りに思えたり、
あるがままの自分を活かしてくれる周りの見守りに感謝出来たりと
人生を活き活きと活きているのが見て取れます。
これは、指針がいう保育そのものであり、
子どもの姿がもしそうでなければ、
「環境を通して」育つ体験
「自らが選択」して育つ体験
「年齢」ではなく「発達段階」にそって見守られる体験
「先生からではなく仲間」から学んで育つ体験
「正解」ではなく「正直」さを優先する体験
個性を「比較」ではなく「尊重」される体験
様々な大切なことが環境として用意されていない可能性が
高いのではないかと感じます。
大人同士の環境も同じことが言えるのかもしれません。
自分自身が自分自身にどんな環境を用意しているのかを
よく見て整えていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海