ソフトの導入研修やサポートを通じて
お客様からこんな声も頂きました。
「子どもを見るまなざしについてですけど、、、
やっぱりその子がちょっとでも出来るようになったらチェックをしてしまっていたんです。
そうすると、次の発達課題も見えてくるので、こうなってほしいなと思いから
すぐに次の発達課題が出来るようにと考えてしまってたんです。」
その先生は、発達を見ることが出来るようになったのは嬉しいことだけれども
その発達にどう寄り添ったらいいかに悩んでいたそうです。
ハイハイが出来たらすぐにつかまり立ちをさせなきゃ!
とまでは思わないまでも、「毎月計画を立てなくてはならない」ということに対して、
気が付けば似たようなことになっていたと仰います。
この時、子どもたちの何を見ているかが分かります。
「その子の今」を見ているのか
「その子の次」を見ているのか
「今あるもの」を見ているのか
「今ないもの」を見ているのか
「その子の次」や「今ないもの」ばかりを見て接していくとどうなったのかをお聴きすると
・子どもが反発するときがあるんです
・その環境にかかわろうとしないことがあるんです
・言ったらやってくれるけれど意欲的ではないときがあるんです
そう仰っていました。
「その子の今」や「今あるもの」を見て、「今を存分に味わえる(三昧)環境を用意していくこと」
これがなぜ大切なのだろうかと考えたとき、それを大切にしているときの眼差しには
「その子が育つと信じている」
「今あるものを丸ごと受け入れている」
という真心が働いているのかもしれません。
三昧すると子どもはそれに飽きたり、深まっていったりと、
次の課題へと自然と移っていくと言いますが、
それは信じて見守られているという眼差しがあるのかもしれません。
これは大人でも言えることのように思います。
私自身の眼差しを振り返った時、
「仲間の今」を見ているだろうか
仲間が今やっていることが存分にできる環境を用意しているだろうか、
または自分自身がその環境になっているだろうか
「今あるもの」を見て、その人の「今」をその人のあるがままの姿と受け入れているだろうか。
「次の課題」ばかり見てないものねだりをしていないだろうか。
色々と思い当たる眼差しがあることに気づきました。
先生方の子どもたちへの眼差しは
社会を生きる中でも大切なまなざしであるように感じます。
私自身もまた先生方から学び、眼差しを磨いていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海