時に困ったときや、参ったなと思う時、
思いもよらぬような、何かの力が働いているような
有難いめぐりあわせや奇跡のようなことが働くことがあります。
そして反対に、負の螺旋のようにうまくいかないことや、
思い通りにならないことが続くこともあります。
その両方を振り返ってみると、
どうもそこにはしっかりとした「因果」があるように感じます。
今日もそのありがたいことが起こる前に、
大変だけれども人が喜ぶ方を選択したということがありましたが、
どうも自分にはそれが「因」でそのあと困ったときに計らいが
あったように感じてしまいました。
反対に、負の連鎖が起こるときはその時の選択というよりも、
その前の自分が積み重ねている行動が「楽」な方を選んだり、
「お陰様」を忘れたり、「我」を優先したり、「感情」のままに
歩んでいたり。。。と。
そんなことがあったように感じます。
今日、夜にそのことについて
「それはどっちが良くてどっちが悪いということよりも、
どちらの出来事も、自分が成長するために必要な意味が含まれているんだよ」
と教えてもらう機会がありました。
確かに、どちらの出来事にも、自らの成長のための学びの
キーワードがしっかりと隠れています。
「だから、悪いことから目を背けてしまっては、そこの学びから
目を背けることになる。すると、結局学んでいないのでまた同じことが起きる。」
そんな風に教えてもらいました。
思い当たる節が沢山あります。
自分の中にはやはり仕事に対して
「良い仕事、悪い仕事」や「成功や失敗」という感覚が
まだまだあります。
しかし、同時に、それを超えて
「どれも意味があり、学びの宝庫。今で十分。選ばないことが最善」
という体験も積み重なってきました。
「大切なのは今世でどれだけ意味を受け取ったかどうか」
その教えには、大切なのは知識でもなんでもなく、
どんなことにも意味があると、深め、挑戦し
選ばずに体験を積み重ねてきたかどうかなのだと
改めて教えて頂いているように思います。
感情が波立つものほど、チャンスの裏返しなのだと思うと、
受け取れるものをしっかりと受け取り、意味を噛みしめて
積み重ねていきたいなと思います。
ミマモリスト 眞田 海