先日、弊社代表から「サドベリースクール」という存在を
教えてもらいました。
東京にあるサドベリースクールのサイトを見てみると
サドベリースクールとはと、こんな風に書かれています。
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東京サドベリースクールには授業がありません。
テストもないし、人から指示を受けることもありません。
クラスも学年もチャイムもありません。
誰かの用意した選択肢の中から選ぶのではなく、
まったくゼロベースの中から、自分の好奇心を追及しつくしたり、
自分たちに必要なシステムを、自分たちで作り上げたりしています。
つまり生徒たちは、自分でやりたいことや必要なことを見つけ出し、
それを好きなペース、好きな方法、好きな人たちと共に活動しているのです。
私たちは「人は本当にやりたい、必要だと感じたときに一番よく学ぶ」
という考え方を大切にしています。
スタッフと呼ばれる大人は、生徒たちのあるがままを信頼し、
彼・彼女らが大好きなことを見つけ、知りたい欲求を追求できるように
環境を整え、見守ります。
このように大人の一方的な評価や期待がない環境のなかでこそ、
生徒たちは、安心して自分の好奇心をとことん追求し、
自らのやり方で学び、自分が大好きなことは何かを知ることができると考えています。
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5歳から18歳の子どもたちが異年齢で過ごします。
この学校を卒業したからと言って、
中学校の卒業証書がもらえるわけでもありません。
何も教えないのに、子どもたちは卒業までに文字を読み書きができるのか。
ゲームばかりしていて大丈夫なのか。
好きではないことをやるのは子どもの教育に必要なことではないのか。
それぞれの問い、不安に対して明確な考え方を持っています。
http://tokyosudbury.com/questions
一般的な学校に通わせていると、
一斉教育や年齢別教育の弊害を沢山感じているにもかかわらず、
ここまで明確な考えを持っている学校を見ると
親に対して
「どこまで子どもを待てますか?信じられますか?」
と、問い掛けてくるように感じます。
待てないから、信じられないから、
やらせたり、詰めこんだり、
そして弊害が表面に現れる。
それなのになぜ、私たちは子どものことを思う時、
やらせようと思うのでしょうか。
それは子どもを向いているというよりも、
社会をみて、親が思う「そのこの将来」を不安に思うのかもしれません。
社会に出るには、学歴があった方が、知識があった方が、
みんなとおんなじように育った方がいい。
そんな不安を自分自身が解決できてないからなのかもしれません。
私自身も、明確な考えをまだまだ持てていません。
せっかくのこの機会、自分の枠をもう一度
「子どもの人生」から考え直す機会として、学んでみたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海