さて、自分の初心を改めて見つめてみると、「あるがままの存在で世の中や誰かのお役に立って喜んでもらうこと」とありますが、「誰か」とは何か。「世の中」とは何か。このことを最近は強く思うことがあります。
それは、先日のある園さんからの学びです。
「誰か」のためにきっとこうしたら「世の中」が喜ぶだろう。ではそもそも姿勢が異なるのだと教えて頂いたからです。
具体的に、人と対話し、人を見つめ、目の前の事実に対して行動していくこと。
そしてその行動する動機が善であるか、私心はないか。
その順番を間違えぬようにしなければと教えて頂きました。
アイディアや自分の危機感を解消するために行動や思考が動いてしまいがちですが、それでは動機も私心も乱れがちです。
必ずしっかりと、立ち止まり、その点を確認し、今できることを見つめて行きたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海