そもそも「やりたい」と思っている人たちが集まっていれば、
その仕事やPJはとっても楽しいはずです。
「熱い想い」「強い想い」があればあるほど、そしてそういった人たちの
集まりであればあるほど、そのPJは盛り上がっていきます。
子どもたちで言えば、ゾーンが明確に子どもたちに理解されるように設置され、
(色んなゾーンが子どもたちに分かるように配置されていて)
そのそれぞれの内容が子どもたちの発達段階にあっているものであれば、
子どもたちは自ら選択し自ら熱中していきやすいでしょう。
そして環境が不足していれば「これがしたい、これが欲しい、これが足りない」と
先生たちに求めてくるでしょう。
そういう意味で行くと、分散型目的別の働き方をしていくには、
そこにいる人たちがそもそもその会社の抱える事業の「何か」に「熱い想い」を
持っていることが大前提です。
そして、子どもたちで言えば「遊び方」大人で言えば「仕事の仕方」を理解していることも
重要となってくると思います。
「想い」があっても「うまくいかない」のは「仕事の仕方」を学んでいなかったり、
もしくは「想い」に見合った事業がその会社にないのか、本人が分かるようになっていない(PJの棚卸がされていない)のかもしれません。
「遊び方」を子どもたちは年上の子を見ながら、そして時にはひとりで必死に練習をします。
それは「遊びたい」という「想い」があるからです。
私たちは「仕事の仕方」を想う時、仲間を見ながら学び、それを自分なりの形や表現の仕方で習得できるように、ひとりで必死に練習をしているでしょうか。
遊び方が上手な子どもたちはやはり、必死になって遊びを習得するために訓練・練習をしています。その訓練・練習すら「遊び」の一部なのです。
私たちは「仕事の仕方」を想う時、「今の自分に出来る仕事」ばかりを選んでいないでしょうか。
きっとそれは、子どもたちのような「想い」が不足しているのかもしれません。
「想い」を忘れているのなら自分に問いかけて思い出せばよいと思います。
しかし、その会社の事業やPJに「想い」がないのであれば、もはやそれは
その会社で働くことはミスマッチなことであると感じます。
保育園と違い、会社というのは子どもたちに必要な環境すべてを用意してくれているわけではありません。
社会全体に存在する会社を見渡すことで、私たち大人が「想い」を持って働ける環境を
見つけることが出来るからです。
先日ある御方の薫陶に触れる機会がありました。
その方は私に、
「想いを持って働きなさい。想いが無ければ善い仕事なんて出来ないよ。
想いが全てなんだよ。その想いを大事にしてくださいね」
と、何が根源なのかを何度も語ってくださいました。
人生は会社が選ぶのではなく、自らで自由に選択できます。
会社を見るのではなく、まず自分の「想い」に耳を傾けること。
それが、子どもたちに残していきたい未来を創るシンプルで根源的な要素であることを
子どもたちの姿から、そして先輩方から教えて頂いているように思います。
ミマモリスト 眞田 海
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