カグヤでも最近特に課題だと感じていて、話し合うことの多い、みんなで「共有する」「一緒にやる」ということ。
自分自身に置き換えてみると、困った時や分からない時にクルーに助けを求めることは多分にしていると感じますが、逆に物事がうまくいっていて一人でどうにかなっている時はどうだろうと考えると、困っていない時ほど共有したり、一緒にやろうとしていない気がします。
困っていないのに一緒にやるのは非効率的だと、私も今までは思っていましたが、そもそも困っている時に助け合うことだけが人間関係ではありませんよね。
それに、そのうまくいっている状態がずっと続くかは分かりませんし、責任を持つというのは一人でやることではなく、きちんと共有することなのかもしれません。
家庭や育児でも同じことが起きているように、隣近所とのお付き合いというものがほぼない中で、楽しい時も大変な時も家族だけで共有しているように感じます。
その習慣は今の子どもたちにあらわれていて、私たちが子どもの頃に比べると子ども同士の関わりが薄れていて、関わり方が分からない、苦手だという場面をよく目にします。その反面、大人への対応は上手だったりするのです。
「一緒に遊ぼう」のはずが、気付いたら個々でゲームをしている…
なんだか悲しい光景です。
そうならないためにも、携帯電話の中の会話で終わらずに、顔を合わせてもっともっと会話をし、何かなくても良いことも悪いことも皆で共有して生きていきたい。
そして助け合いながら生きている姿は、子どもたちにも見せていきたい姿だと思うのです。
美化コーディネーター
眞田 由莉