夏になると郷里のお祭りを思い出します。
小さな田舎町でしたが「6000人の盆踊り」と名付けられたそのお祭りは、沿道に収まり切れない数の屋台が立ち並び、やぐらを組んだ小学校の校庭は町民ばかりでなく近隣の町から訪れた人でごった返しました。
そして2日目のフィナーレには、お決まりの花火大会。
もちろん数十発程度の質素な打ち上げ花火でしたが、田舎暮らしの町民にとっては心に刻むに十分な煌めきでした。
しかし時とともにお祭りの実行委員となる青年会も若者の田舎離れで人が減り、その活気は徐々に失われていきました。
私が中学生になる頃には「これじゃ600人の盆踊りだ」と言われるほど寂しいお祭りになりました。
そしてある年、お祭りの開催日を7月末からお盆に変えました。
お盆には上京した人たちが帰省します。
山車を担ぐ若者とお祭りの人出が増えると考えたのです。
ところがその年のお祭りは散々な結果となりました。
町民どころか、屋台すら激減してしまったのです。
原因は近隣の複数の大きなお祭りと重なったためでした。
車社会の田舎では、近くのお店に行くにも車を走らせます。
お祭りは家族総出となるので、距離に関係なく移動には車を使います。
ましてや久しぶりに子どもが帰ってきたとなれば、賑やかで花火も見応えのあるお祭りに連れて行ってあげたいとも思うでしょう。
屋台も商売ですから、当然より人出のある大きなお祭りにお店を出そうと考えるのは当然です。
数えるほどの人しかいない祭り会場で、見上げた夜空に瞬いた花火がいつもより小さく感じたのをいまでも覚えています。
この翌年から花火はお祭りから消えました。
気づけば私も上京して数十年。
その間、そのお祭りには一度も出向いたたことはありません。
今思えば、出店も花火もお祭りを彩る要素ではあるけれど、本当に大切だったのはみんなが集い、古くから受け継がれてきた踊りを一緒に踊り、互いの近況を知ることだったように感じます。
昔は道もほとんど整備されておらず、車のない家庭も一般的で、人里離れた山中にも当たり前に家が点在していたでしょう。
きっと気軽に互いの家を行き来することも難しかったのだろうと思います。
お祭りはそんな住人全員が顔を合わせることのできる場だったのかも知れません。
このまま過疎化がすすめば長く続いていた祭事も、受け継がれるべき伝統も、いつか消滅してしまのではと不安になります。
遠い故郷を想う時、記憶に残るその姿がずっとあそこにあり続けてほしいと願います。
ミッションパート
佐藤真樹