今日は大阪での仕事の後、
翌日に向けて、奈良に移動してきました。
この奈良の街に来ると、
ある一軒の看板もない小さな焼き鳥屋さんを思い出します。
ご高齢のおばあちゃんふたりで営んでいるこのお店。
去年初めてお伺いした時に、「幸せ」とは「身を尽くすこと」
ということを、ご自身の体験談から教えて頂きました。
「身を尽くす=幸せ」
その姿は、どこか「見守る保育の三省」やGivingtreeの
物語に通じるように感じてしまいます。
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○子どもの存在を丸ごと信じただろうか
子どもは自ら育とうとする力をもっています。
その力を信じ、子どもといえども立派な人格をもった存在として
受け入れることによって、見守ることができるのです。
○子どもに真心をもって接しただろうか
子どもと接するときは、保育者の人格が子どもたちに伝わっていきます。
偽りのない心で、子どもを主体として接することが見守るということです。
○子どもを見守ることができただろうか
子どもを信じ、真心をもつことで、はじめて子どもを見守ることができるのです。
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あのおばあちゃんたちは元気にしているだろうかと
ちょっと寄らせてもらうと、たまたま二席空きがあり、
お邪魔させて頂きました。
「あれから私は今年で84になったのよ」
「どんどん身体が言うことを聴かなくなっちゃう」
そんな風におっしゃるおばあちゃん。
後輩を連れてきたというと、
後輩が気を使わないでいいようにと、
あえて声を掛けてくれたり、
食べ物の数を整えてくれたり。
短い時間でしたが、今日もまた「身を尽くす」
一日を過ごしているおばあちゃんの姿から
学ばせて頂くことはとても大きく、意味深く。
唐突に「趣味を持ちなさいな」とおっしゃるおばあちゃん。
また次いつか、お会いできる機会までに
自分自身も「身を尽くす」ということの意味を
少しでも深められたらと感じる一日となりました。
ミマモリスト
眞田 海