仕事とプライベートを分けないことが
人生の要だと思って生きてきましたが、
その解釈には様々あり、
私自身の理解はどうやら、
「仕事を頑張っていれば、プライベートもよくなる」
「24時間、仕事もプライベートも関係なく、頭を働かせていることが大事」
「プライベートでも仕事でも、生き方が統一されればどちらも変わりがなくなる」
などなど、そう思って生きてきましたが、
色々と体験する中で引っかかってきたものがあります。
それは私の中にある価値観でした。
「仕事を中心に生きる」
その価値観の中で「仕事とプライベートを分けない」と解釈しては、
プライベートを犠牲にする仕様となります。
また、その逆に「プライベートを中心に生きる」
とすれば反対のことが起こるのでしょう。
「仕事を中心に生きる」という価値観の中では
前述の「プライベートでも仕事でも、生き方が統一されればどちらも変わりがなくなる」
などの言葉の解釈も変わってきてしまいます。
さて改めて、人生の大きな転機を頂き、
自身の価値観が切り替わる機会を頂いた中で、
「仕事とプライベートを分けない」とはどんな意味なのだろうか。
それを問うと、昔から頭の中にはあったものの、
それが「それしかない」というところまで感じられるようになりました。
それはひとつ上の視野なのかもしれません。
「自分の人生を自分自身の長所で楽しんで生きる」
私が生まれた意味は会社で働くことに限定されません。
世の中に私の長所を使って出来ることを楽しんでいくことです。
仕事も、プライベートも、どちらも自分の長所を使って楽しんで生き、
そして世の中の役に立つ。
それが、
「子どもたちの個性を見守る」
「子ども主体の社会を作る」
「子ども第一義の理念を実践する」
ということにつながるのではないか。
そんな風に感じています。
「楽しむ」ということにはもちろん個人差もありますし、
何でも楽しめる人もいれば、もちろんそうでない人もいます。
私自身もなんでもかんでも楽しめるわけではありません。
もちろん、そんな人間になれたらとは思いますが、
なれなくても、自分を恥じたりはしません。
人は生まれてきた時点で「善」であり「完」。
どう生きてどう死んでも、それにはその意味があるのだと
最近の出来事を見ていて感じるからです。
楽しむことも苦しむこともノルマではないように感じます。
人生の荒波を乗り越えて、楽しんでいけるのは、結局は自分の持っている
長所を活かしていくことだけなのかもしれません。
ミマモリスト 眞田 海