息子が久しぶりにというか、初めて入院するほどに
体調を崩しました。
この数日は、家族が息子に付きっ切りで過ごしています。
妻も娘も私も精一杯自分にできることで息子を支えたり、心配したり。
入院手続きを終えて、病室で一息ついたとき、
不思議なことに、とても幸せな空気に包まれました。
状況を見れば、普段の週末と比べれば大変な週末で、
息子も「かわいそう」であることは変わらないはずなのですが、
なぜか、本人も含めてみんなが優しく、心も明るく、幸せそうなのです。
息子を中心にその「場」に普段以上の力があるように感じるのです。
先日、「場」について学ばせて頂く勉強会に参加させて頂きました。
まだ学んだと言える段階ではありませんが、その勉強会で痛烈に印象的だったのは、
「与贈(よぞう)」という言葉と考え方です。
自らの一切の利益を求めず、自らのいのちを何かのために使うこと。
その行為を「与贈」と呼び、その行為が積み重なることで、
その場に力が生まれる。
その理論を実際の人体の細胞レベルで行われている実験など
科学的見地から教えて頂きました。
「場」が持つ力。
私たちは今まで暗黙知的に感じていたこと。
例えば「ここにいると居心地がいい」「この人たちといると居心地がいい」
「ここを自分の居場所だと感じる」
など、理由が分からずに感じていたものにも、
自分が何かしら、その場やその関係性に対して
「与贈」をし続けていたことや誰かがしてくれていたことがあるのかもしれません。
少なくとも、今日の出来事も、皆が自らの利益を一切考えずに
息子のために自分を使いつづけたことがその「場」を作ったのだと思います。
皆が誰かに任せたり、自分のことを考えて行動していたら、
今日のような幸福に包まれる「場」は生まれなかったでしょう。
「場」に宿る「いのち」とは、自分のいのちの移し替えであり、
誰かのいのちの移し替えであり、自他が分かれない繋がった場なのだということを
今日は感じられる一日となりました。
保育の中では「ゾーン」という言葉があります。
ただの「プレイス(場所)」がみんなが主体的にその場にかかわることで
「ゾーン(居場所)」に変わり、皆がゾーン状態(熱中・三昧)になっていくことで
場の力がどんどんと深まっていき、発達や学びを促し、
協働する力や社会性を育む重要な環境です。
こどもたちはいつも、素直に自他が分かれず、「与贈」しつづけているのかもしれません。
ミマモリスト 眞田 海