昨日に引き続き、法要での読経後のご住職のお話からです。
◆母の故郷で
http://www.caguya.co.jp/kurashi/30117.html
「先ほどお墓で『一蓮華』の話をしていましたが、今読んだ『仏説阿弥陀経』でも、池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光・・・と『蓮華』が出てきましたね。」と。
こちらの意味は、池に咲いている蓮の花は、その大きさが車輪のようであり、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を、それぞれ放つということのようで・・・あの名曲「世界に一つだけの花」が思い浮かびました。^^
そう考えると、私たちは人と比較したりされたり、何かをしないと認めなかったり認めてもらえなかったり・・・の中で、青い花として生まれたのに、黄色く光ることを強いられたり、赤い花として生まれたのに、白く光らなければならなかったりと、生まれたままの自分をそのままに受け容れてもらえるということは、なかなか難しいことのように思います。
ちょうど今月号の「致知」を読んでいて
「誰もがこの世の中に必要な人間なのだから、皆自分をもっと大切にして、愛してほしいということ。自分を大切にして愛しているからこそ、他の人にも同じように愛情を注ぐことができるし、自分の花を大きく咲かせることが、結果として他人の花を咲かせることにも繋がるんです。自分を大切にするから自分を諦めない、人のことも諦めない、人は必ず変わることができる。」
・・・というお話がありました。
自分らしく自分の花を咲かせようとすることで、周りの自分らしさを奪っているとしたら、それは共生しているこの世の中において、どこか不自然で自己中心的な自分らしさなのかもしれません。
自分や自分を取り巻く環境にただただ愛情を注ぎ大切にすることで、自分らしさや周りの自分らしさを尊重し合えたらと思います。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子