コロナウイルスの影響で、子どもたちが通っている小学校では今年の運動会が中止になりました。
その代わりに、密を避けて学年ごとのミニ運動会のようなものが開催されるということで、毎日練習したことを話してくれていました。
ある日、5年生の娘がリレーの練習で派手に転んだようで、怪我をして帰ってきました。
幸い傷は大したことがなかったのですが、明らかにいつもと様子が違います。
聞くと、その日は欠席者が多かったこともあり、チームによってはそれをカバーするために2周走らなければならない子を決める必要があったそう。
娘のチームは3人も欠席者がいたので、2周走るメンバーを3人決めないといけないところを、「2人」と勘違いして決めてしまったようなのです。
その勘違いに気付いたのは最後の子が走ってくる時で・・・
「どうしようどうしよう!」とみんな焦る中で、とっさの判断で娘がもう1周走ることにしたそうですが、先ほど走ったばかりなのと焦りで足がもつれ、派手に転んでしまった・・・ということのようでした。
いつもは無口な娘が話してくれたのは、
・なんて単純な数え間違いをしてしまったんだろう
・自分が転んで負けてしまった
・とっさにその中で一番足が速いのは自分だから、自分が行かなくてはと一人で判断してしまった
・転んだことの恥ずかしさ、あと、痛い、情けない
・でもその時見学していた6年生が娘の名前を呼んで応援してくれた
・チームの子も誰一人娘を責めることなく「大丈夫?」と心配してくれた
・帰り道も荷物を持ってくれた
・みんなが優しかった
話しているうちにいろんな感情がごちゃ混ぜになり、ついには赤ちゃんのように泣き出してしまいました。
そんな娘の感情が痛いほど伝わり、こちらも一緒になって泣きました。
温かい人に囲まれて、それに気付くことができて幸せだね、と。
最近は思春期の入り口のような難しいお年頃で、なかなかここまでオープンに話してくれることが減っていましたが、普段から言葉にはしなくてもこうして一つの出来事からたくさんの気付きを得て、周りの人の優しさを痛いほど感じながら、少しづつ少しづつ成長しているのだと改めて感じます。
また、娘が感じたことは仕事をしていても感じることであり、私たち大人も一つひとつの出来事をきちんと整理して受け止めていかなければいけないと思います。
苦い経験を繰り返しながらも、周りの人に助けられて糧にしていくのは子どもも大人も同じ。
子どもから学び続けていきたいと思います。
美化コーディネーター
眞田 由莉