神奈川の実家から、今いる代々木に引っ越してもう11年半になりますが、年内にはここを引越そうかと考えていることもあり、今日は部屋の片づけを行いました。
そんな中、過去の年賀状を整理していると、広島の祖母からの10年前の年賀状が!
そこには「入院中はいろいろと励ましてくれてありがとうね、おばあちゃんはあのコーヒーの日を思い出しては、奈々ちゃんの生き方に感激!! 人生は年をとっても面白い事いっぱいあるね!!」とあり・・・読んだ瞬間に涙がこみあげてきました。
振り返ると、祖母は10年前の春に脳溢血で倒れ入院しましたが、その年の夏に無事退院し、その後祖母宅に行った際に、当時会社でも愛飲していた、生豆から煎って飲む「煎りたてコーヒー」を祖母の前でいれたことを思い出しました。
涙のわけは、そんな思い出を懐かしんで・・・というものではなく、長年にわたる祖母からの愛、そして祖母への愛が思い出されたからでした。
よくよく考えてみれば、この5月に祖母が亡くなり、その翌月、祖母に連れていかれたかのように母が亡くなってしまったこともあり・・・
◆大好きな母
http://www.caguya.co.jp/kokoro/29176.html
ショックが上書きされ、祖母のことを考える余裕もなかったというか、どこかで「母が亡くなったのは祖母のせいでは」というような負の感情を抱きながらも、それに蓋をしていたのかもしれません。
でもそれは私の勝手な思い込みであり、自分でも気づかないうちに、そんな風に祖母のことを悪く思っていたことへの申し訳なさと、
むしろ現実は、私が生まれた時からずっとずっと愛情を注いでくれていて、見守ってくれていて、96歳まで本当に長生きし沢山の思い出を残してくれていて・・・
そんな事実の方を思い出したのです。
そもそも祖母がいなければ、母も私も生まれていないわけで、本当は感謝しかないはずなのに、失礼な話ですね。
今日は、ちょうど母の月命日なので「おばあちゃんのこと許してね」と母が言ってくれたのかも? なんて思いつつ・・・
母に対しても、別れのショックが、実際の幸せだった日々を上書きしてしまっているようなところがある気がするので、
やっぱり「○○のせい」ではなく「〇〇のおかげ」の方に目を向けれたらと思います。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子