最近は昔と比べて暮らしの何が変わったかというと
新しいものを買う機会が随分と減ったという事です。
そして、捨てることも随分と減りました。
誰かの不要を自分が購入し、自分の不要を誰かが購入する。
そうすることで、モノはずっと使われ続けて、いのちはずっと輝きます。
自分が買うために使ったお金は、自分の為だけで使われて終わるのではなく、
その後も誰かの手に渡り、大事に使われる。
そうすることで、「お金」も喜ぶのだと思います。
自分だけを喜ばす為だけのお金と、自分だけでなく、そのあとの誰かをも喜ばせるものに使われるお金とでは、同じお金を使ってもその「価値」が違います。
服を買い、自分が使わなくなったら捨てていては、そのお金はそれだけの価値です。
しかし、それがまた誰かに買われ、誰かを喜ばせて役に立てば、私が払ったお金は誰かをも喜ばせることが出来ます。
また、無駄な消費を抑えることは地球の為にもなります。
そして、結論としてお金の消費が減るわけです。
「誰かのために」と考えてお金を使えるようになればなるほど、
その人にお金が集まってくるというのは、お金の価値を高めているからかもしれません。
それはお金が集まっているのではなく、もしかすると「徳」が磨かれているのかもしれません。
今回、オフィスの引っ越しで出た廃棄物処理費用は2万円でした。
ほとんどのものをゴミとせず、誰か喜んで使ってくれる人を探し、お譲りし、
感謝する機会を得られたのは、大きな体験でした。
モノにもお金にも「いのち」がある。いのちが喜ぶ使い方、譲り方というものがある。
それが今の大量生産大量消費の社会へのメッセージのようにも思えます。子どもたちに残していきたい未来を想う時、すべてのモノの背景にある「いのち」や「価値」というものを大事にできる時代を作っていく必要があると思います。
ミマモリスト 眞田 海