人を褒めるということは「褒め育」などにもあるようにとても大切なことだとされています。
しかし同時に「褒める」というのはどこか「評価」の眼差しが生まれることがあります。
そして人によっては誰かを褒めるときに「評価」で留めずに誰かとの「比較」をすることにもつながります。
また、誰かと比較をしていないつもりでも、無自覚に自分と比較していたりします。
誰かを褒めれば褒めるほど。
自分は出来ていないと責めてしまったり、
誰かに褒められれば褒められるほど、
良いことをしないと褒められない。存在の意味がない。
そんなふうに感じることもあります。
これは、一つには社会の仕組みがそうなっている事にもつながるかもしれません。
褒めることももちろん大事なのかもしれませんが、それよりも大前提にあるもの。
それは、「感謝」だと思います。
存在してくれていることへの感謝。
同じ目的を握り合い、共に働けることへの感謝。
様々な学びをもらえることへの感謝。
様々な「感謝」の前提があってこその「安心基地」であり、
安心基地があるからこその個性であるように思います。
いかに能力がある個性であろうと、その場の安心基地を壊したり、
周りが辛くなったり、不安になったりするようでは本末を間違えている可能性があるように思います。
能力を磨くことはもちろん大事なことです。
プロ野球選手になりたいと志したら、
目指した夢に向かって自らが必要なものを理解して練習して習得していく
そうやって能力も磨いていくものです。
物事の本末を忘れぬように、歩んでいきたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海