昨日の続きになりますが、
◆親戚の集まり
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自分は勿論、親戚や家族、会社の仲間や友人、お客様など周りにいる方々と元気に年を重ねられる、笑顔で会えることのありがたさを身にしみて感じるのは、やっぱり母のことが大きかったのだと感じるものがあります。
生前、あたりまえのように母が与えてくれた献身や深い愛情、そして母の存在そのものが、決してあたりまえではなく、とてもありがたいことだったのです。
そんなことは、これまでも大病を患った方や、同じように大事な人を失った方の話から、ある程度大人になった時点で、自分でも頭では分かっていたつもりでしたが、やっぱり失ってから気付くことがとても大きく・・・理念と同様、知識ではなく体験でつかんでいくものなんですね。
だからこそ、母の存在に限らず、自分の存在、自分を取り巻く様々な存在へのありがたさを忘れずに、そんな感謝から調和していく生き方をしたいと改めて気付かされ、自分自身の「信念の種」が深まる思いがありました。
今日は母の月命日。
6月にお別れをして、ちょうど7か月が経過しましたが、母の「生」が教えてくれたものは「愛」でした。
◆愛の循環
http://www.caguya.co.jp/kokoro/29336.html
そして、母の「死」が教えてくれたものは、決してあたりまえなどなく全てありがたいものなのだという「感謝」でした。
ちょっと時間が経過した今ではそんなことを思いますが、とんでもない教えですね・・・^^;
いつもありがとうございます。^^
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子