休日に包丁研ぎを行いました。
切れ味の悪い包丁に慣れてしまうと、
その習慣が食材そのものに対する扱いや料理する心構えまで
影響してくるように思います。
それは自分自身の扱い方も同じなのかもしれません。
一生懸命に日々を取り組み、振り返り、改善していくことを怠り、
自分のなまくらなところをそのままにしていると、
やはり、仕事や自分の周りにまで影響してくるのだと感じます。
そういう意味でも、自分を磨く、研ぐということを学んだり、
その感性や重要性を気づかせてくれる包丁研ぎの習慣は
自分自身を助けてくれる有難い実践だと感じます。
しかし、包丁を研いでいて感じるのは
良い研ぎ方や良い砥石が重要なのではなく、
その砥石をいつもまっすぐに手入れしているかということなのだと感じます。
研いでくれている大切な砥石だからと、削って平らにしてしまうのを
怠ってしまっては、いくら一生懸命に研いだところで
包丁は歪んでいってしまいます。
一生懸命に日々を取り組み、振り返り、改善していこうとしていても、
自分自身が振り返りの際に大切にしている信念や理念や真理というもの、
それ自体を頑固に思い込んでよりどころとして使っていては、
自分自身が歪んでいく。
そんな風に感じました。
大事なのは、
自分自身がよりどころにしているものや信念、真理を
「本当にそうだろうか」「分かっているのだろうか」
「本当は違う見方もあるのではないだろうか」
いろんな角度から見たり調べたり、実践していくこと。
都度都度、砥石自体をまっすぐに削るように、
自分自身の信念をもまっすぐに削る行動をするということ。
「今まで自分が大切にしてきたこと」を砥石とすることから
「今起きている出来事すべて」から学び、今頂いている機会を
存分に使い、砥石をまっすぐに削ること。
言い換えれば常に「今」を砥石とすることへの転換なのかもしれません。
研ぐのは今。
昔、砥石が平らであったことは重要ではありません。
今という機会に軸足を置いて、
日々を過ごしていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海