娘にはパズルの300ピースと1000ピース。
息子には日本の偉人たちの本。
子どもたちは、
必要なものを「要求」してきます。
今、その子が熱中しようとしていること。
それを知ることが出来ること、
そして熱中している姿を見ることが出来る機会というのは
その子の個性を知ることが出来るとても貴重な機会だと思います。
やらせこんだり教え込んだことからの反応や姿からは
見ることが出来ない「無垢」で「実態」のある「姿」。
自ら熱中し育っていくプロセスに立ち会えることは
とても豊かなことだと感じます。
また、「個性」は発達課題に対しても色濃く影響するのではないかとも感じます。
娘が息子と同じくらいの発達状況だった時、
どんなものを必要としていたかを振り返ると、
また違う本でした。
同じ発達課題を持っていても、必要な環境が違うということをよく聞きますが、
本当に人それぞれの個性が色濃く反映されるのだなと感じます。
そう思うと、改めて「人が通った道」を通ろうとしたとき、
それは「人の道」であって「自分の道」ではないということに気づかないと
中々「熱中」はできないのかもしれません。
同じ発達課題を持っていても、熱中し、発達していく環境は
その人それぞれによって違う。
そんな当たり前に聞こえるようなことも、
実際の社会の中や働く組織の中では
「何年目になったらこの研修」
「リーダーになったらこの研修」
「主任になったらこの研修」
その人の発達課題や個性に環境が添えられるのではなく、
役職や年数に環境が添えられてしまうこともしばしば。
子どもたちに必要な環境が一人ひとり違うように
大人たちに必要な環境も一人ひとり違う。
だからこそ、その人の「個性」や
なんのために働くのかという「初心」
そして、その人の初心が今、何をやろうとしているのかを
知る必要があるのだと感じます。
ミマモリスト
眞田 海