もうすぐひな祭りですね。
昔はこの時期になると、よくデパートで雛人形の展示即売会を開催してましたが、最近はあまり見かけなくなりましたね。
私はふたりの姉妹でしたが、家に雛人形はありませんでした。
姉はどうか知りませんが、私は鯉のぼりの方が好きでよく欲しがりましたが、雛人形をねだったことは一度もありませんでした。
ところが不思議なもので、社会人になって数年たったころから、こうした季節ごとの行事が気になり出しました。
今は雛人形の形態も値段も様々で、誰でも手軽に手に入れることができるようになりましたね。
ですがそうは言ってもワンルームでは飾る場所もしまっておくところもなかなか・・・
そこで我が家ではこんな感じにしています。
手拭いを額に入れて飾ってます。
月ごとに行事や季節に合わせ変えています。
忙しくなるとつい面倒でそのままにしてしまいそうになることもありますが、変えればやはり気分も変わるし季節をしみじみ味わえて気持ちにゆとりもでてきます。
そういえば、雛人形をしまうのが遅れると婚期が遅れるとよく聞きますが、これは「片付けがちゃんとできないようではきちんとした女性になれず、お嫁さんにもなれませんよ!」という躾の意味を込めての言い伝えのようです。
お雛様を飾るのもしまうのも情操教育のひとついうことでしょうか。
こんな風に言葉だけでみれば「関係ない、あるわけない、ただの迷信」と思ってしまうような言い伝えはたくさんあります。
例えば「食べてすぐ横になると牛になる」とか、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない(地域によっては鬼が来るとも・・・)」などなど・・・
つい笑ってしまいますが、これも食事のあとすぐに寝転ぶことは行儀の悪い行いとされていたので、それを戒めるための言わば躾としての意味合いが大きいですし、昔は照明設備が十分でなかったので薄暗いなかで刃物を使うのは危険なこととして、たとえ爪を切る程度でも怪我をする可能性があったため、それを防ぐために言われていたと考えられます。
どれも根っこのところには「人として恥ずかしくない人間になってほしい」といった親心や、「怪我をしないように」という気遣いを感じます。
そしてこうした物事の分別や良し悪しを、暮らしに根ざした行為や言葉を使って伝える迷信に、日本人としての思慮深さをも教えられる思いがします。
しかし寂しいことに、近ごろはこうした迷信も徐々に言われなくなってきました。
言葉は時代とともに変わっていきますから仕方ないのかも知れませんが、こうした思い遣りから生まれた言い伝えが忘れられていくのは本当にもったいないと感じます。
将来、言葉や表現が変わっていっても、日本人が紡いできたこの美しい教えは、ずっと大切にしていきたいと思います。
ミッションパート
佐藤真樹