こころでみるもの

今日はご先祖様とご縁の深い白鳥神社(しろとり神社)に
家族で祈祷を受けに行ってきました。
 

 
不思議なもので神職の祝詞奏上を受けていると、
自然と自分の内側と向き合う時間となり、
次第に心が洗われるような気持になってきます。
 

 
神様やご先祖様は「目に見える」存在ではありません。
しかし、その「目に見えない」存在を感じようとするとき、
私たちは「目」ではなく「こころ」を働かせるように思います。
 
「こころ」には目に見えない沢山のはたらきがあります。
 
「感謝」「真心」「思いやり」「徳」
 
どれも目に見えるものではありませんが、
そんなこころが働くとき、
 
「安心な場」や「やすらぎ」や「つながり」や「信頼」
「見守り」「ご縁」などのこれもまた目に見えない
「居場所」を感じられるのだと思います。
 
私たちは今の暮らしの中で、目に見える世界で生きる比率が
あまりに高くなりすぎ、「居場所」を失い始めているように感じます。
 
目に見えないものの「存在」を感じられる「場」や「文化」が
日本の財産でもあり、知恵でもあります。
 
そんな大切な財産を子どもたちへと譲っていけるように、
自分自身のまなざしを「明在的なもの」を見るまなざしから
「暗在的なもの」を見るまなざしへと変えていきたいと思います。
 

 
ミマモリスト 眞田 海