昨日伺った白鳥神社は海野宿という街道筋に鎮守されていました。
元々、海野宿は田中宿と合宿という扱いで存在し、
規模としては田中宿が大きく、本陣が田中宿という扱いでした。
しかし、大洪水により田中宿が流されて壊滅する被害を受け、
本陣が海野宿に移されたそうです。
伝馬屋敷59軒、旅籠23軒の賑わいを見せた海野宿でしたが、
明治になると、旅籠造りの屋敷を養蚕屋敷へと活用し、養蚕の村として
栄えていきました。
現在までも水害にも合わずに現在も美しい街並みが残されているのは、
ここに神社が鎮守されている理由でもあると宮司はおっしゃっていました。
元々、神社は神様をお祭りする場所。
その地域の中でも、清浄な場所や安全な場所が選ばれるわけですから、
神社と地域の繁栄には昔から関係性があったのだと思います。
街づくりとは単に便利さや経済合理性を追求するばかりでなく、
「暮らし」が営まれ、残され、文化となっていくための基盤づくりなのかもしれません。
ミマモリスト 眞田 海