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人間から細胞を取り出して培養液の中にいれておくと、
弱くなって死んでしまう。
それはなぜかというと、「生きていく」目的がなくなるから。
体の中にいると強く「生きていく」のは、
体を生かして行くという細胞が「生きていく」目的があるから。
細胞から人間に目線を移すと、
現代の社会ではみんな、「生きている」ことはできるのに、
「生きていく」ことが出来なくて自殺する人が増えてきている。
今の社会は「生きている」のは簡単になった。
社会がサポートするメカニズムもあり、コンビニもあり、暮らしやすくなった。
しかし、「生きていく」ためのサポートメカニズムが社会にない。
昔は、「生きている」ということは面倒くさかった。
今みたいに簡単便利ではなかったから。
しかし「生きていく」ことは容易だった。
自分らしく生きていくことに対して大らかだった。
遊ぶことに困らなかった。学校もさぼってもおおらかだった。
大学にはいっても、さぼっていても大丈夫だった。
今は昔と違って、「生きていく」ことと「生きている」ことの難しさが逆転している。
そんなお話を先日お聴きしました。
時代が変わってきている中で私たちはどんな社会を作っていくのか。
まだまだ「生きている」ことを簡単便利にする文明化に力を使い続けるのか。
それとも、自分らしく目的を持って「生きていく」ことへの支援や仕組み、
社会づくりに力を使っていくのか。
それは「働く」ということの中でも、職場の中でも同じこと。
私自身の価値観を改めて時代にあわせて整理する必要性を感じます。
ミマモリスト 眞田 海