今日は近所のご家族たちが集まって、
新春初打ちテニス&凧あげ大会に参加してきました。
近所の公園のテニスコートも正月は比較的空いていることもあり、
パパ友達が開いてくれました。
今日は随分と風が強く、絶好の凧揚げ日和。
ぐんぐんと上がっていく凧を見上げながら、、
「果たして凧揚げってなぜ凧揚げというのだろう」と気になりました。
調べてみると、
平安時代に伝わったたこあげは、当時「紙鳶」と呼ばれていたそうです。
紙鳶は魔物や病気などが風に乗ってくるのを防ぐ「厄払い」の道具として使われていましたが、
それが転じて縁起物として扱われるようになった紙鳶は、
全国に広がり月日と共に様々な形に変化したそうです。
江戸時代には、空中でバランスを取るために数本の紙や糸が付けられたものが主流となり、
ヒラヒラとついた足が海のいかのように見えたことから「いか」「いかのぼり」とも呼ばれるようになったそうです。
大流行したいかのぼりは、将軍様も町民もみんなこぞって行うように。
すると、落下したいかのぼりで死傷者が出たり、燃えたいかのぼりが江戸城に落下するなどの事件が起こり、
江戸幕府が禁止令を出したそうです。
すると町民は「いか」じゃなくて「たこのぼり」だと、屁理屈をこねはじめ、
また大流行したそうです。江戸幕府は「たこのぼり禁止令」をまた出すものの、
町民はそれを無視し、幕府も目をつむり、正月の風物詩になっていったとあります。
まさか、昔はいかのぼりと呼ばれていたとはビックリですし、
町民と幕府の関係性も今とは違って何だか人間味があるというか、
粋な感じがします。
今年も、皆さんのご多幸を願って、「たこ(多幸)あげ」のお話でした。
ミマモリスト 眞田 海