暮らしを考える時、何のための「暮らし」なのかと改めて考えます。
「暮らしを充実させること」は目的ではなく、「いのち」を充実させること。
「いのち」を充実させるためには「いのち」が誰かの役に立ったり、誰かの「いのち」、何かの「いのち」が喜んだりといった、相互の「いのち」が喜びあう関係性が必要なのだなと感じます。
「暮らし」そのものが人生であり、地球の、世の中の、誰かの役に立つもの。
つまり、暮らしとは一人で行うものではなく、誰か、何か、との相互の「いのち」の「助け合いや活かしあい」なのだと私は思います。
「暮らし」には仕事もプライベートもすべて含まれるとすると、自分の「暮らし」を振り返るとき、改めてこの
「いのちの助け合いや活かしあい」を目の前の仲間や家族、物や生き物、食べ物としているか。
という観点で物事を見ると、どこを大事にしているかが見えてくるように感じます。
ミマモリスト 眞田 海