母は、最後はほとんど食事もできない日が続きましたが、そんな中でも「乾杯!」といってグラスやコップを母の飲み物に近づけるとなんだかその気になって、コーヒーやミルクティ、スープや水など少し飲んでくれることがありました。
そんな想い出もあり、お通夜の前に母が病院から自宅に戻ってきた時も、大好きだったコーヒーをお供えし、母を囲んで、家族皆で最後の乾杯をしたり、
直会時の献杯の音頭もあえて「乾杯」として、母への敬意を示しつつ母を偲びました。
その後も、毎日コーヒーや
最後になんとか口にしてくれていたいちごなど、畑で収穫できたものを祭壇に毎日お供えしたりしていたのですが、
今日は実家でひとりになった父から「今日は6時起きで畑にいってきました。最近ノーマークだったキュウリが大きくなっていたので初収穫し祭壇に飾りました。赤いのはお隣りの畑の李(スモモ)です。収穫を一寸手伝ってお裾分けにあずかりました。」とメールが届き、どうやら父もお供えをしてくれているとのこと。^^
そういえば室礼のお稽古の先生も、航空機事故でご主人様の命が突然絶たれてしまった際の、激しい喪失感とやり場のない怒りを救ってくれたのが、年忌法要や年中行事、室礼だったそうで・・・
先月、祖母が他界した際にも感じたことではありましたが、
◆「端午の節供」の室礼 ~2020年~
http://www.caguya.co.jp/kurashi/28523.html
確かに、この「供える」ということによる亡き母と繋がれる感覚が、私自身の癒しとなり、心穏やかに安定を保ってくれているのを実感します。
改めて、先人が残してくれた行事、文化に感謝です。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子