新宿オフィスの引っ越しの整理で感じたのは必要以上に物が溢れているということでした。
今まで使わなかったもの、今後使わないであろうもの、それらを積み上げてみるとそれはすべて「執着」の山でした。
今回の会社の変革を機に、自分の家の中を見直してみると呆れるほど物が溢れていました。
この家に越してきて7年半。
越してきた当初は、もっとシンプルに生きよう、出来るだけ物を持たずに、いまあるだけのもので慎ましやかに。
そう思っていたものの、気づけば「あると便利」なものから「こんなの買ったっけ?」というものまで、ありとあらゆるジャンルのなくてもいいモノたちが、次から次へと出てくる出てくる・・・。
それらを見ていたら何だか申し訳なく、悲しい気持ちになってきました。
どれもお店で私の手に取られた時、きっと活躍できる場が与えられたと思ったはず。
それなのにいつの間にか押し入れや棚や引き出しの隅っこの方に追いやられ、忘れ去られてしまっていたのかと思うと心が痛みます。
ごめんない。ごめんなさい。
心の中でそういいながら、ひとつひとつ布巾できれいに拭き、ダンボールに詰めていきます。
次はもっと活躍できるよう、本当に必要としてくれる人のもとへと、海外支援団体へ送ることにしたのです。
その量なんと宅急便の一番大きな箱3つ分。
ひとつ詰め終えたら発送して、またひとつ詰め終えたら発送。
他にも収納場所がなくテーブルの上に積み重ねていた大量の本も、書棚に収まるだけの量に整理しました。
そうしていくうちに家はどんどんスッキリしていき、それとともに自分自身の頭の中も心もスッキリしていき、同時に執着もどんどん削ぎ落とされていくような気がしました。
モノが増えるごと執着が生まれ、それはいつしか自分自身を縛り付け、気づくともうどうすることもできないほど雁字搦めになっていて、そこから一歩も動けなくなってしまう。
社会に生きる以上、そうしたしがらみはどうしたってなくせはしませんが、それでも自身の心はいつも自由に、どこへでも飛び立てるよう身軽にしていたいとは思います。
歳をとると過去の経験からの経験記憶が優勢になるので、考え方や行動は保守的になりやすいそうです。
いま、守りを捨てていかに攻めに転じられるか、そこに人としての真価が問われる時代が来ている気がします。
私もそこそこ歳を積み重ねているので、いまだ攻守を右往左往していたりもしますが、そんなまごまごしている自分をも楽しみながらゼロベースにチェンジしていきたいと思います。
ミッションパート
佐藤真樹