本日は月に一度の初心会議でした。
毎回、初心会議の朝には、皆で人間学を学ぶ月刊誌「致知」を読み、自身の実践と照らし合わせながら、皆で感想を共有し学び合う「社内木鶏」を行っています。
◆社内木鶏
https://www.chichi.co.jp/study/contentsstudy/shanaimokkei_about/
そんなわけで今月もこちらのブログで感想文を発信していきたいと思います。
致知の11月号の記事の中から、今回私が選んだ記事は「自己丹誠こそ幸福への道」。
◆自己丹誠こそ幸福への道
https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2018/sonoayako/
今回印象的だったのは「若い時はそれを諦められないで、何とか理想通りの人間関係に修復していこうと思う、でも、不可能な場合が多い。諦めっていうのも随分大事だなと思いますよ」というお話です。それと同じく「夫婦仲をよくする秘訣についての質問にも「仲が悪かったら悪いままでいいじゃありませんか。」と笑い「夫婦だけにかぎらず、相手に何でもかんでも求めすぎないってことは大事なことかもしれません」という内容には、ハッとするものがありました。
というのも、ちょうど勤続10年の親孝行旅行の際に、両親がけんかをしそれに対して私が怒る・・・というシーンがあり自己嫌悪にも陥ったものですが、その後の両親はそれでもある意味でいつも通り仲良くもやっているわけで、「言われてみればこれが我が家のスタイルだった」と受け容れた時に、何も悪いことではないような感覚にもなりました。
そう考えると、自分はどこか理想を求めがちで「これじゃダメだ。なんとか仲良くしないと」とか「仲良くしてもらわないと」などと思ってしまことが多いものですが、それも突き詰めてみると、自分の価値観からきているもので、単に自分が嫌な気持ちになっていることからの言動が多いのかもしれません。「加齢は人間に知恵を与える」のとおり、確かに諦めというのも大事な知恵のひとつと考えると、自分の価値観で「これがあたりまえ」のように物事を見たり、なんでも自分の思い通りにしたくなるその心こそ、見直すところのような気がしてきます。
ただ、その中でも自分が信じた「持続可能な社会づくり」への道を歩むことは諦める気持ちには今でもやっぱりなれませんし、その道はたとえひとりになってもカタチが変わっても歩んでいきたい道。それは私の頭がまだまだ固いからなのかもしれませんが、だからこそその中で大事にしたいことは、やっぱり尊重し合うこと。そして尊重し合うには、当然相手の気持ちを知る必要があり、自分の気持ちを知ってもらう必要がありますから、あっちかこっちかではなく、周りの声を聴いていくこと、自分の声を発することが重要なのだと感じています。
そういう意味で今月を振り返ると、社内における不穏な空気などに頭を悩ますこともありましたが、それもこれも単純に「悪いこと」として捉え、問題解決しようと反応するのではなく、まずは共感や寄り添いなど心の通うコミュニケーションを大事にしながら、未熟だからこその自己丹精を楽しんでいけたらと思っています。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子