毎月の初心会議で実施している「社内木鶏」。
今月は到知の11月号の記事の中から、私は上記の記事を選びました。
曽根さんの著書を手にしたことはありませんが、今回の記事を読みインタビュアーの方とのやり取りがとてもユーモアに溢れ、明るく優しい印象を受けました。
ただ、それだけでなく言葉の真っすぐさに響くものもありました。「人間はもちろん脇道に逸れる時間も必要ですけれど、やっぱり自分を訓練していくと同時に、自分も他人のために、少し手助け気持ちを持つことが大切です」という最後の文章が印象に残りしました。
また、巻頭言の泰道師が紹介された詩のお話や鮫島さんの記事も、歳を重ねることで見えてくるものがあり、今を懸命に生きよというメッセージを送られているように感じました。
今月ある先生の古希祝で多くの方が出席され、皆さまと共にお祝いが出来たこと、これまでたくさんの方を照らし導かれ、実践し続けている歩みがあることを感じ、私も教えを受けているその一人なのだと感じました。
古希祝の帰りに花束を2つ持ち帰らせて頂き部屋の中に美しい花々が随分長く咲き、照らしてくれていたように感じています。坂村真民さんの詩に花という詩があります。
花には散った後の悲しみはない。ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ。一生懸命咲く花に、そして真民さんの言葉が心に染み渡る感覚がありました。
今月は様々な感情が湧きたちましたが、本当はこんな時ほど、日ごろの実践の真価が問われるのだと感じますが、頭では分かっていても感情は正直で感謝で受け取れないことも多く、先を見通して次は何をするや、分析をしてきっとこうだと言うよりも、どうしたらいいのかを真剣に考え、動いていかなければ、どうにもならないことも感じました。
様々な出来事も次の花を咲かすための栄養だと思えば、全てがこれからの肥やしになります。頭で考えて行動するよりも心で思ったことを行動するというように、今回の記事で取り上げられている皆さんのように、少しでも近づいていけるよう、自分自身を使っていきたいと思います。
ミマモルジュ
奥山 卓矢