自分が窮地に陥ったとき、
本当に有難かったのは損得を超えて助けてくれたり、
逢いに来てくれたり、寄り添ってくれたり、支えてくれた方々の存在でした。
家族や近しい友人や知人はこれまでの絆があることを感じましたが、
そのほかの友人や知人が何故、ここまで助けてくれるのか、分かりませんでした。
時が経ち、
何故、ここまでしてくれるのかと聴くと、
ある方は以前、自分の息子を失った時期と私が父親を失った時期が
同じであり、そんな時に出会い、共に海で過ごし、
その方自身も救われた思いだったと。それ以来息子のように思っているのだと。
ある方は自分の家族を失い、身も心もボロボロでふさぎ込んでいた時に
連絡をくれたといい、前を向くきっかけと立ち上がる時間をくれたと。
ある方はもう一度やり直してみたいと思い、挑戦したその日に出会ったからと。
お聴きする中で感じるのは「出会いの奇跡」です。
共に楽しく過ごした時期が、その方々の大変な時期であったことが、
私にここまで親切にして下さった理由であったこと。
その出会いのお陰で自分が救われた事実を思うと、
なんと有難い出会いを頂いていたのだろうかという想いと同時に
出会いの一つ一つを大切にしていきたいという想いが湧きます。
ある外国の方は私に
「あなたは登山の話で、一つ山を登ると一つ大切な友人が増えた気持ちになって
その山を見るたびに心が躍ったり、愛おしくなると言いい、
それを聴いて私は『つばをつけた』ってことだねとふざけましたが、
あなたが登山でたくさんの山々に『つばをつけた』ように、あなたの人生の中で接してきた私たちの心にも、『つばをつけている』んだよ。そのことを忘れないでね」
と、教えてくれました。
自分の「種」、長所で生きた分だけ、
いつかそれが自分を助けてくれることにつながるのかもしれません。
頂いた教えを、これからも大切にしていきたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海