先日の幸福度報告2019の続きです。
日本にはどんな「寄付文化があったのか」
それを調べていくと、日常的な習慣でいうとお坊さんの行っている
「托鉢」や神社仏閣への「お賽銭」などがあります。
そのほかにも、数字で見る日本の寄付文化について
下記のような記事がありました。
https://kifunavi.jp/donation/jp-history/
「情けは人の為ならず」という言葉も日本にはありますが、
古くには日本にはそういった寄付文化があったようです。
さて、この「寛容さ」と「幸福度」の関連性。
先日のブログでまとめたここまでの情報を集めてみると、
なぜ日本で寄付文化が浸透しないのかを考えると、
興味深い国の体制が見えてきます。
アメリカを例にとると、富の再配分は国が行うのではなく、
国民個人が行います。富裕層が寄付やチャリティーをするという形式に頼っています。
しかし、日本は国が再配分を税金等で行っています。
民が行う行動が国民の文化となる訳ですから、
この制度の違いでかなり寄付については差が出てくることを実感します。
また、ミャンマーと日本との差を比べると、そこには宗教観の違いも見えてきます。
文教という教えが日本にもわたってきましたが、
ミャンマーでは9割以上の国民が上座部仏教
そして日本は一般的には大乗仏教といわれています。
上座部仏教の教えには、
私が貧しいのは、前世で功徳を積まなかったから
彼らが裕福なのは、前世で功徳を積んだから
と、
現世以上に来世は大切であり、来世のために現世で功徳を積む行為は、
何よりも優先されるのだという教えがあります。
この教えが「寄付文化」に貢献している可能性は非常に高いと感じます。
https://enjoying-your-life.com/myanmar-buddhism/
しかしまた、別の視点からすると、
仏教、神道、キリスト教、儒教など、様々な宗教を
全て受け止めてきた日本の歴史や今の日本が持つ「寛容さ」という文化は、
世界では珍しく数値化されづらいものであります。
今回の幸福度調査には反映されていませんが、東日本大震災の時から
「震災は神の裁きなのか」という問いとしてではなく、
「震災をどう受け止めるべきなのだろうか、震災を通じて自分たちは何を学ぶべきなのか」
という問いとして受け取ろうとするこの8年の姿は、世界の方々からは
私たち日本人の「寛容さ」を表しているといいます。
そしてそれは、数値には無いものかもしれませんが、
子どもたちに残していきたい姿でもあるように感じています。
ミマモリスト 眞田 海