5月の「社内木鶏」での気づきをこちらのブログで発信します。
【感じたこと】
(人生・仕事にどう生かすか・この1ヵ月木鶏に迫れたか 等)
今回の記事の中で印象に残ったのは、枠を破るということについての稲盛さんの「渦の中心になる」という考え方でした。問題が見つかった時、リーダーとなって皆を巻き込み、渦を起こし、解決しなくてはならないという考え。それに対して「皆自分の仕事が忙しいので、なかなか渦の中心になるのは難しいのではないか」と質問した方もいたそうですが、それをしない限り成長はできないし本当のリーダーにはなれないとおっしゃったとのこと。これを自分自身という個人の視点から離れて、このカグヤという会社のことを考えてみました。
カグヤは何をしている会社なのか。「子ども第一義」という理念は明確になっていますが、それが何を意味しているのか。それらに正解というものはなく、また成長によって深まっていくものだとは思いますが、今の私の中では「目の前の子どもだけでなく、未来の子どものたちの為を考えた際の、『根源療法』を行っている会社です」という言葉が浮かんできました。例えば現代の医療は対症療法、薬によって症状を抑えたり、患部の痛みを取り除いたり…というものになりますが、小児科医の真弓定夫先生は「クスリを使ってもいいが、それよりも本来の治療をしないといけない」と言われていました。それは例えば私たちの体にあった本来の食べ物を食べること、本来の水(水分)を摂ること、本来の空気を吸い、その中で暮らすこと、もっと言えば心の持ち方をどうするか…など。それが治療なのであって、むかしの医者は皆それをやっていた、とおっしゃいます。ホメオパシー(自然療法)のある先生も、例えば身近な例で言えば高血圧、血液の流れが悪く全身に血が巡らなくなるから心臓ががんばって働いて血圧を上げて血を巡らせようとしているのに、それをクスリで抑えてしまったら、血圧の数値自体は下がるかもしれないが、血が巡らなくなったことで指先が壊疽したり、様々な弊害が生まれるかもしれない、とおっしゃいます。本来の治療は血圧を下げることではなく、血圧が上がっている原因を解消してあげること。発熱も高熱過ぎて脳に障害が起きるほど、体が苦しいほどに高ければ解熱剤なども必要でしょうが、それは身体が正常に戻ろうとしている働きなのだから、本来は必要なことであって、抑えるものではないとはよく聞く話です。これを考えた時、私たちは子どもたちの為の『根源療法』を行っている会社なのだということが自分の中ではしっくりとくるのです。
先日もお寺が母体の園様に訪問しましたが、仏教保育、その教えの中にある大切なものを伝えていくのは、本来はお寺の役割かもしれませんが、その園様にとっても、園児のみならず、保護者や地域の方々にその大切さを伝えていく役割があるように思います。しかし、実際に子どもたちが園にいる状態の中で、仏教やそれにまつわる行事の本来の意味合いまでを伝えていこうとするのは中々難しいものかもしれません。例えば食も医療も何でも、子どもの為を考えたら、もっとこうあった方がいいと気づいてもそこまで行うことは難しいか、それに気づいたり深めたりすることもなかなか忙しい園の中では出来ないかもしれません。GTの事務局を園ではなく私たちカグヤがやっているように、直接園児がいるわけではない「会社」という形だからこそ、本来の育ちとは何か、食とは何か、行事とは何か、暮らしとは何か、と園が、子どもが必要とする『根源療法』としての本来の治療法を私たちは深めたり、その意味合いを伝えたり、守ったり、繋いだりしているのだと思います。
先日の藤﨑農場の田植えでも、藤﨑さんのお孫さんが「祖父ちゃんの姿がカッコいい」と、自然農法での田んぼを受け継ぐ、その想いを話してくださいました。お米一つをとっても、私は行事だけでなく、遺伝子組み換え、農薬、外国企業の参入、種の問題など、本来守るべきものが沢山見えてきて、それを一緒に守っていきたいと思いは高まります。カグヤという会社が、自分たちだけではなく、渦の中心となって想いを持った方々を繋いでいったり、子どもたちにとって本当に必要なものを守るために力を使っていきたいと思います。
ビジョンリスナー
大河内 盛友