本日は、月に一度の「初心会議」でした。
毎回、初心会議の朝には、皆で人間学を学ぶ月刊誌「致知」を読み、自身の実践と照らし合わせながら、皆で感想を共有し学び合う「社内木鶏」を行っています。
◆社内木鶏
https://www.chichi.co.jp/study/contentsstudy/shanaimokkei_about/
そんなわけで今月もこちらのブログで感想文を発信していきたいと思います。
致知の6月号の記事の中から、今回私が選んだ記事は「自分の心を見つめて生きる」です。
今回の記事で印象深い内容は、「唯一これが正しいという解釈はなくて、見方を変えればこう読めるというのを次々に出していくものです。」というものの見方、解釈の仕方についてです。また続けて文中には、五木先生の言葉として「影があるのは背後から照らしている光があるからなんだ。」とあり、それに対して横田老子が「人生には辛いことも多いけれども、そういう中で常に明るいものを期待することが大切であると教えられた」というものも紹介されていましたが、このような希望ある生き方も改めて大事にしたい生き方だと共感するものがありました。
今月も色々なことが起きる中で、記事のタイトルにもあるとおり、自分の心を見つめ1ヵ月を振り返ってみると、自分自身の心がそのままに純粋になっていたなぁと感じるのは、やっぱり一円対話でした。○○保育園の先生がカグヤに来て、聴福人として進行する一円対話に参加したり、△△保育園様で、園の先生と一緒に参加者として混ざり対話を行ったりと、今まで体験したことがない参加の仕方もありましたが、日常の社内での一円対話も含めて、共通して心が大きく動かされるのは、やっぱりあるものに目が向けられたり、そのありがたさを感じられた時です。
文中に「田んぼに雑草が生えるように、我々の心には貪り(むさぼり)や怒りなどの愚かさがある。だから田んぼの雑草を抜くように、それらを取り除かなければならない」というお話がありましたが、一円対話はそんな自分の煩悩という汚れたものを取り除いて、自分の中にある本質の心を見させてくれる場であることも実感しました。
一緒に働く仲間がいること、お客様やパートナーさんがいること、家族や友人がいること、職場があること、心身共に健康であることなど・・・何気ない日常がおくれることが、決してあたりまえではないことを、そのような一円対話からも教えて頂き、ひとりでは何も完結できないことを実感するからこそ、日々の働きを大事にして、周りの方々や子どもたち、社会へと還元していきたいと素直に思えたりもしています。
子どもが憧れる生き方や働き方を目指していたり、子どもたちが安心して過ごせるような見守り合える社会を築いていくために、それこそ自分の心をないがしろにせず、一歩一歩歩んでいきたいと思います。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子