自分自身がしっかりと実践していることになっていないと
相手に何かを伝えることが出来ないのだろうかと思う時、
そこには本質が半分あるようでそうでないようにも思います。
正解や知識はいくらでも調べられる世の中です。
会社で働いていれば、会社で実践していることは
いくらでも語ることが出来ます。
実践しているからこそ語れるものもあれば、
実践していても語れないものもあるように思います。
例えば「傾聴」という一つをとっても、
会社で実践しているからこそ語れる部分もありますが、
自分が「傾聴」の何が難しく、どんな時傾聴していないのかというように、
「傾聴」することの難しさや深さを自らで理解していかないと、
語れないものもあるように思います。
様々な声やアドバイスを本当に「傾聴」しているかというと、
都合の悪い言葉や、自分の価値観と違うアドバイス。
信頼関係が築けていないと思っている人からの声から始まり、
身近な人、「親」や「兄弟」「家族」の声を本当に「傾聴」しているかというと、
私自身、とても難しいです。
関係性が近い人ほど難しいものです。
自我を優先する甘えや、「頑固さ」をはき違えて
耳をふさぎやすいのは近い人ほどそうなります。
自分自身の「修養」が今どの深さであるのか。
「実践」の深さを感じられるからこそ「語れるものがある」
実践しているから語れるもの。
実践していても語れないもの。
深さや自分への教えという目に見えないものを
しっかりと見つめていきたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海