東京へ戻ってきました。
立科での体験も最高の思い出となりましたが、
やっぱり自宅が一番落ち着くと、子どもたちが口々に言い、
幸せそうにゴロゴロしているのを見ていると、
子どもたちや私たちにとっては自宅というのは
「安心基地」なのだなと、改めて自宅の役割を実感します。
落ち着く場づくりとは、不思議なものです。
自分一人が落ち着く場づくりは、
自分の心地よい場所を創ればよいものですが、
家族となると、自分以外の存在との総合的な営みです。
1人暮らしの頃の居心地のよさとは全く違い、
価値観の違いを含めて、その場にいるそれぞれの「存在」を
丸ごと認め、共に生きる共同体の中にある「居心地の良さ」です。
それは逆に、一人になるとなくなってしまうものでもあることを
以前、里帰り出産の時などに体感しました。
人はなぜ、一人ではなく村や集団で生きてきたのか。
それを思う時、一人称での「居心地の良さ」と
全体の中での自分を含めた「居心地の良さ」というものの違いを
感じ始めます。
自分と周りが分離し、別れた状態で感じるものと
自分と周りが分かれていない状態で感じるものには大きな違いがあるのだと感じます。
それは別に、家族を持っているかどうかでもなく、
自分が生かされているという事実の中で、周りの生き物たちと
自分自身を分けずに生きているのだろうか。
地球や宇宙と一体となって生きているかというようなものでもあると感じます。
どこに住むか、誰と住むかの問題ではなく、
繋がりの中で生きているかどうかというのは、
その人がどんな人とつながっているのか、
どんな出会いの連続で生きているのかという
人生を見れば、それが一人称なのか、つながりの中でなのかは
そのまま表れるのだと思います。
感謝をベースに生きることの大切さを改めて実感します。
ミマモリスト 眞田 海