毎月の初心会議で実施している「社内木鶏」。
今月は到知の11月号の記事の中から、この方の記事を選びました。
(「社内木鶏」については下記をご覧ください)
https://www.chichi.co.jp/study/contentsstudy/shanaimokkei/
今回の記事で人生に活かしたいと思う点が2つありました。一つ目は、自分のことを何でわかってくれないんだと思っていた時から、周りの人々のことをどれほど分かろうと自分はしていたのだろうかと、気づくことが出来たという言葉です。この一か月、自分自身の働き方の中で困ったことが沢山ありました。ある園さんに訪問した時も、自分の考えや思いがあり、きっとこうしたら、こうなったらと、いう想いを抱いたとき、これを伝えるのはどうもおかしいと踏みとどまる機会が多々ありました。仲間とのMTGも、家族との休日の過ごし方も同様です。自分の価値観を分かってもらおうとするよりもずっと前に、まずは自分は相手の価値観に興味があるのか、相手の想いを本当に「聴こう」、「聴きたい」と思っているのか。説得するための材料探しに「聴いていないか」という、自分自身の根源的な癖や生き方と向き合う機会が多々ありました。そんな時、今月助けてくれたのは、自分の初心です。「あるがままの自分で回りを喜ばせること」という観点から、何度も助けてもらったように思います。「カグヤさん」が喜ぶか。皆が喜ぶか。今その瞬間は嫌と思われても、時がたった時、あの時言ってくれてよかったと喜ばれるような動きをしているか、あるがままを超えてあんまり無理しすぎていないだろうかと、初心が沢山助けてくれました。もちろん、初心のままに居られないことも多々ありますが、出来る出来ないの考え方ではなく、初心という自分が大切にしたい生き方を軸に自分を見ていられる環境に感謝していきたいと思います。二つ目は、愁いが感謝へということです。それは自分が不完全な人間であることを受け入れれば、その愁いが感謝に変わることに気づいたんです。不完全ですから絶対にひとの力が必要です。人の力を借りなければ、抱いている思いが愁いのままで終わってしまうんです。愁いは感謝によって光になるんですよ」という言葉です。自分が不完全であることを受け入れていれば、一人で仕事をしようとすることはあきらめるはずです。「ありがとう」「ごめんね」と気軽に言えるはずです。自分にはそういう部分がまだまだ足りない。謙虚さの無さや傲慢さがまだまだあるのだな、特に忙しくなったりするとそんな心が出てくるので、そんな時こそ、今回の記事から学び、実践に移していきたいと思います。