長崎のある園長先生から、個性について教えて頂く機会がありました。
どこまでを個性として受け入れるものなのか。
先生は
「その人の発達を阻害する個性であれば、それは個性として認めない。」
と仰っていました。
自らの育ちを邪魔する個性は個性じゃない。。。
なるほど。
確かに、自らが自らの育ちを邪魔するというのは基本的に不自然なことです。
それは個性ではなく、癖や悪習慣や刷り込みや環境などの外的要因で
植えこまれたものかもしれません。
確かに、恐怖や不安も基本的には「個性」として持つものではなく、
「過去の体験」や教えられた「考え方」などの「価値観」が作り出すものです。
「価値観」は変わります。
「個性」は変わらないものでしょうか。
うーーん。私には分かりません。
しかし、先生の話を聴き、
その人の育ちを邪魔しないものが個性なのだと思うと、
個性とはその人の「天命」や「天分」といった、
「その人が何のために生まれ、何のために生きるのか」という
「いのち」そのものの働きのことを言うのかもしれないと感じました。
個性=いのちの働きだとすれば、
自分のいのちの働きをどう世の中に活かしていくのかを追求することが
個性を活かすことにつながるのかもしれません。
ミマモリスト 眞田 海