今回は、髙野さんの『目の前に来た球を無我夢中で打ち続ける』を選びました。
髙野さんの記事を読み感じたことは、高野さんは20代を一言で表すと「無我夢中」の一語に尽きると言われました。
では、私自身の20代を表すと何だろうと思うと、働くということ、生きるということは全てカグヤを通して、教えて頂いたということです。
様々な事件も振り返ると、今思えばよき思い出ですし、沖縄や北海道、島根など全国様々な所で赴き、理念研修での学びはもちろんクルーとの思い出や絆が増していくのも、こういった経験をさせて頂いたからなのだと感じています。
20代は家族や友人と過ごした時間よりも、遥かにカグヤで、そしてクルーと過ごした時間が圧倒的で、カグヤ抜きで考える事は出来ないほど、私にとって濃密だったのだと振り返ると感じます。
本文の中で髙野さんが、「他人に認められるのは、完璧にこなせる人ではなく、本気で打ち込んでいる人」という言葉が印象に残りました。
それは最近のクルーの宮前さんのブログの記事の中で、「完璧ではなく、完成」という、ある園さんの園長先生の言葉が紹介され、その言葉が印象に残っていたからでした。
宮前さんを通じで「完璧ではなく完成」という大事なことを教えて頂きましたが、宮前さんはその先生を通じて、そして、その園長先生もまた別の誰かからこの言葉をリレーしてきたのかもと思うと、人は繋がっているんだということを感じます。
TV会議で毎朝顔を合わせて働くことになるなんて、カグヤに入社した頃想像もしていませんでした。
どこにいても顔を観て話ができる安心感はもちろんありますが、心の繋がりは画面越しに顔を見るだけでは生まれないなと感じます。
先日の一円対話はフィードバック役で参加していましたが、皆さんのここ最近楽しかった話や気づきを聴かせて頂き、楽しそうに話をされる表情を観ているだけでも、自分は話さずとも心の穏やかさを感じました。
最初から完璧を求めていたら何も出来ません。それよりも一歩踏み出し、失敗しながら教えて頂きながらこれからの未来に向けて今できることに取り組んでいきたいと思います。
ミマモルジュ
奥山卓矢