自動車を作るようにではなく、植物が育つように。
そんな言葉に影山 知明さん著「続ゆっくり、いそげ」の中で出会いました。
自動車を作るようにと考えれば、設計図があり、マニュアルがあり、それに必要な技術や資格が必要になったりします。
これは、同じものを大量生産する目的であり、そのためには作る側も「同じこと」が出来るようにならなければなりません。人は一人ひとり違うのにもかかわらず、どんどんと人も機械化されて行きます。その人の個性で働くのではなく、働きが「作業的」になっていきます。
しかし、「植物が育つように」と考えるとそこは「個々の育ち」という保育に通じる観点が出てくるように思います。
植物は自ら「育つ」のであり、一つ一つ同じように見えてどれも異なります。
風や土、太陽、水。それらの環境の中でそれぞれの個性が育まれていきます。
それぞれの個性そのものが「いのち」であり「作品」であり、均一でないことが人間らしく、美しく豊かであること。
これは、子どもの育ちのみならず、私たち人間が感じられる幸福の源でもあるように思います。
風土{文化や習慣}や太陽(理念や初心)の中で、それぞれの個性で働き、役に立ち、いのちが輝く社会。それは、だれもが同じサービスを出来るようになるような「作る」社会ではなく、自分らしさで世の中の役になるための「個性」を「育む」社会なのだと感じます。
ミマモリスト 眞田 海