毎月、皆で人間学を学ぶ月刊誌「致知」を読み、自身の実践と照らし合わせながら、皆で感想を共有し学び合う「社内木鶏」を行っていますが、今月もこちらのブログで感想文を発信していきたいと思います。
◆社内木鶏
https://www.chichi.co.jp/study/contentsstudy/shanaimokkei_about/
致知の6月号の記事の中から、今回私が選んだ記事は「我が情熱の火は消えることなし」です。
◆我が情熱の火は消えることなし
https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2020/06_kobayashi_tatsumura/
今回一番心に残ったのは、音楽に反対し続けたお父様の思いの内容でした。「実は父が音楽家を志していたことを葬儀の時に知った」とありましたが、そんなお父様が、「家が経済的に恵まれなかったので、中学卒業後に家族6人を支えるために血のにじむ努力をして体育教師の免許をとられ、小林さんが音楽をやることに反対したのは、半端な覚悟では音楽の道はやっていけないということを教えようとしたのでは。音楽家としてここまで歩んでこられたのは、そんなお父様のおかげでもある。」というお話でした。
「親の心子知らず」という言葉もあるように、私自身、先日母をなくしましたが、どれだけ母の気持ちを理解していたのかと思うと、なんだか申し訳ない思いがするほどです。母は私に「はみださない子に育ってほしい」と思い、子育てをしてきたそうですが、大人になってそれを聞いた時「はみ出さない子って何?」と反発に近い気持ちもあったりしましたが、その背景には母が自分の人生を通してよい、必要、大事と思ったことをしてくれていたわけで、そんな思いをどこまで理解していたか、理解しようとしていたかと思うと、残念ながら全然なかったなぁと反省します。
そんな私も20代後半から、ようやく自分の人生を自分で考え自分の足で踏み出してみようとなり、子どもの頃からしっかりしておらずいつも親に助けてもらっていた自分でしたから、母から見れば結婚もしないで仕事に熱中していく私はどこかはみだしているようにも見えて、応援はしてくれるもののやっぱり心配だったのだと思います。自立のプロセスだったとも感じるので後悔はしていないのですが、もう少し母の気持ちを受け取ってもっと安心できる関わりをできていたらと思うものもあります。
その後、母の愛情のおかげもあって、自分や人生を肯定できる今がありますが、いくつになっても母が心配しないことはなかったことも分かります。でも、実際に転職などの人生の岐路で色々と反対してきた母によって覚悟もできたことを思うと、今の自分があるのは命を誕生させてくれただけでなく、自分がどう生きるのかの使命という意味でも、母の存在は大きく、母なしではありえないことを実感しています。
生前から思ってましたが、最大の親孝行は子どもである自分が幸せに生きていくことだと思っており、それは母が亡くなった今でも変わらず、むしろその想いは増しています。
母に恥じぬよう、そして母が安心してくれるよう、感謝を胸にこれからますます情熱を持って持続可能な社会を築くための働きをしていくことで、見守ってくれている母に幸せな自分、幸せな社会を見せられたらと思います。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子