最近は社内の荷物整理も始めました。
社内にため込まれた沢山のモノたち。
そのモノが喜ばれるのは、どういう事だろうかとこの数週間でよく考えるようになりました。
「もったいない」という言葉があります。もったいないから取っておく、仕舞っておくという行動は、そのモノから見たときに果たして喜ばれるものなのでしょうか。
私がもし、そのモノだったら、、、と思うと、私は使われて喜ぶように感じます。
もう使うことが出来ないくらいに使い切ることはとても嬉しいことです。反対に、いつか使うかもしれないからと、ずっと暗い棚の中で仕舞われていることはあまり望みません。時が経ち、使われなくなってしまえば、いつしか邪魔なモノ扱いをされてしまう訳で、、、それであれば、仕舞われてしまうよりも、ちゃんと使ってくれる人の手の元に行きたいものです。
しかし、モノによってはずっととって置いてほしいと願うものもあるように思います。
それは、他の人が活用できるものでもないもので、使われずとも、箱に入れられていても、それでも幸せと感じられるもの。人とのつながりの深い「思い出のモノ」のように感じます。
私にとっては、父親がいつも使っていたヨットを整備する際の特殊な道具です。
普段使う機会はありませんが、大切に仕舞ってあります。
それは、いつも見守ってくれている父親と私との「繋がり」が具現化された一つのモノであり、神器のようなものでもあります。
父親が持っていた時のようにヨットの道具としては使われることはなくなりましたが、
今は親への感謝や、見守られていることへの感謝を思い出す道具となりました。
話は長くなりましたが、この社内整理から学ぶことは大きいです。
モノが喜ぶ使い方、モノが喜ぶ場所探し、場所づくりを大切にしていきたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海