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選択制の意義

ありがとうばかり部下に言って仕事してもらってるけど、

部下からはありがとうなんて言われたことがない。

 

むしろ、仕事をしてあげてますよ。

 

なんて、感じの空気を感じたり、時に機嫌が悪くなるのを感じてなだめる自分が居たりする。

この仕事、俺の個人的な仕事じゃなくて、会社の、みんなの仕事なのに。。

 

そんな話を最近は友人からもよく聞きます。

 

いくつかの理由が重なっての事だと思います。

 

もしかすると、部下も会社の仕事として、積極的にその他にも沢山の仕事を背負っているのに上司はそれに気付かず、自分の関わる仕事のことしか見えていないかも知れません。

もしかすると、お願いしっぱなしや、雑な投げ方、フォローの下手さなど部下への長年の仕事の依頼の仕方に問題があったのかも知れません。

もしかすると、部下が会社の方針を理解せず苦しんでいるかも知れません。

もしかすると、指示待ちの働き方が浸透していて、指示された事をすることが仕事だと思っているかもしれません。

もしかすると、自らが選択する機会が、やるかやらないかしか無く、仕事に参画するプロセスに問題があるかも知れません。

 

どちらにしろ、トップダウンの指示命令型の仕事の仕方ではなく、
PJベースで自らが何に参画するかを自らで決められる環境、仕事の進め方があるかどうかの様に感じます。

 

それをやりたい人がやる。
意味を感じる人がやる。
想いを感じる人がやる。

 

子ども達が選択制、習熟度別、順序性で発達していくのと同じく、

そして子ども達が自らの興味関心だけでなく、全体への貢献意欲を持っていて、自らが貢献する機会を欲している事と同じく、

私達大人も働き方を選択して行き、誰かにばかり偏るならば、誰かが代わりに背負い、助け合う文化を作っていく。

 

出来る人がやるのでは無く、やりたいと思う人がやる。

 

この働き方には理念の理解と仲間との関係性、能力ではなく、協力する力、人間的な優しさや繋がり方といった、人間的な生きる力が育まれます。

 

働き方を変えるとは生き方を変えるという事。

そこには上司も部下もありません。

 

保育そのものを変えることと同じ様に感じます。

 

自分がやりたい保育を選んで園を選ぶ様に、自分がやりたい働き方を選んで会社を選ぶ機会が、時代ごとに定期的に訪れるのだと思います。

 

時代は選択する機会をくれます。

 

そのタイミングをどう活かすか。

そこに人生の妙味がある様に感じます。

 

ミマモリスト眞田 海