「やってあげるから見守る保育へ」
育ちというものを学んでいると
様々な方々が同じように下記のことをおっしゃいます。
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なんでやってあげるのか。
それは、相手のことを育てないと育たないと思っているからです。
そもそも人は自ら育つという事を信じていれば、育たない原因は本人ではなく環境や刷り込みです。
そしてまた、育つというのを邪魔するものは、外部から「育てよう」とすることです。
「育てよう」とすることを辞め、「育ち」を支え、環境になり寄り添うことを始めなければ、
育ちは期待できません。
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これは営業も提案もコンサルティングも同じことなのだと改めて思います。
「価値」を伝えようとすること全般に言えることなのかもしれません。
人との接し方を考えたとき、本気で相手の成長、幸せを望むのであれば、
主体は相手であり、商品でも自社でもありません。
本物の医者は薬や病院を勧めたいのではなく、医者の存在を通して、患者が今どんな症状にあっていて、本来はどんな生き方をしたくて、どうして克服できないのかを理解して、本人が病から抜け出せる環境や刷り込みを脱却する「場」を一緒になって考えます。
考えるのも行動するのも患者の人生なのだからこそ、患者自身が自ら歩む道に寄り添うという事なのだと感じます。
そう思うと、会社の企画書や提案書も、会社側だけで考察して分析して作り上げることにも
大きな違和感を感じます。
冒頭の
そしてまた、育つというのを邪魔するものは、外部から「育てよう」とすることです。
「育てよう」とすることを辞め、「育ち」を支え、環境になり寄り添うことを始めなければ、
育ちは期待できません。
という文章の意味を、もっと身近な働きから改善して学んでいきたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海