発達を見るとはどういう事だろうかと
ずっと考えています。
まだまだ分からないことばかりですが、
昨日、話を伺う中で心に落ちたことがありました。
たとえ話から自分の体験につながったのですが、
花がそこに活けてあっても
花がそこに見えていても
その花に感動したり
その花の香りや美しさに心を寄せてみたりとしなければ
本当に見えているとは言わないのではないだろうか。
頂いたたとえ話から自分の体験が重なります。
たとえ子どもの発達を見ていても、
発達課題にあった環境を用意していても
日々に心が追われる中で、
発達課題を探し環境を用意することが
目的となってしまうことが多々ありました。
発達を見ている自分の心が子ども達に寄せられていないことを感じます。
早朝に子どもの寝顔を見て、その存在の有難さや
愛おしさに額に手を触れたとき、
子ども達の暖かさを感じるのは掌だけではなく、
自分の心にも感じます。
そのような見方をしている時が、
発達が見えているという事なのではないかと感じました。
頂いた言葉を学びに、発達を見るという事を
実践から深めていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海