今日、改めて「聴く」という事について
学ぶ機会を頂きました。
丁度1年11か月前にも、
「自分の聴きたいことを聴く」
ということと
「相手の話したいことを聴く」
という事の違いを学ばせて頂きましたが、
その学びをこの約2年をかけて意識をしていく中で、
積み重なるものもたくさんありました。
そもそもの軸足が違ったのだ‼‼と
目からうろこが飛び出る思いと共に、
自分を安心させたい、納得させたい、評価させたいという思惑から
相手を安心させたい、相手の事を知りたい、相手と一体になりたい‼‼
という価値観で生きることに変わっていこう‼‼と生き方を変える出発点になりました。
このプロセスで、その「聴くという事」の豊かさを味わうと共に、
同時に「きっと今回はこういう事だろう」という
自分の中での傲慢さと、知識で補おうとする怠慢さが
自然と頭の中で働くことに未だに苦労をしています。
「きっとこういうなんだろう」
「こういう気持ちも持っているんだろう」
そういった想像は自分自身が相手のことを分かった気になっている時にしか
出てきません。
それは、経験を積めば積むほどにのしかかってくるようなものでもあるのかもしれません。
相手の事を本当に想い、
「もしかすると自分が思ったことと違うかもしれない」
「想像以上に困っているかもしれない」
「思い違いではないだろうか」
と、自分の心が分かった気になろうとする気持ちを捨て、
実際の事実を自分で決めないところまで「聴き切る」という
覚悟と謙虚さを持てた時に人は相手と一体になれるように感じます。
都度都度に、そういった自分を気づかせてくれる見守りに感謝し、
少しでもこの頂いた機会をお返しできるように、
頂いた機会を有難く味わっていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海