仕事においても、保育においても、
家庭においても、自分の人生においても、
失敗を怖がり、物事に主体的になれないことがあります。
「~~すると失敗するかもしれない、恥をかくかもしれない」
「~~するとお客様に迷惑をかけるかもしれない」
だからやらない。
でも、、失敗は成功のプロセスにあります。
失敗と成功は同じベクトルの中にあることは、
頭ではわかっています。
むしろ、今目の前にある課題や、問題を解決したり、
なりたい自分や相手のなりたいことの為には
今のまま、何もしないことが本当の「失敗」であることも分かります。
では何故、動かないのか。。
それを今日は学ぶ機会を頂きました。
子どもの事を想う時、
子どもが失敗と思われるような行動をしたとき、
親としての自分は、
責任を取ろうとする姿勢や行動を教えるのではなく、
バツを与えるようなことをしていないかという事です。
「それはダメ、違う。」
「なんでそんなことをするの」
「そんなことしたら~~しちゃだめだからね」
「ほら言った通り、そうなったでしょう」
「せっかく~~したのに、、、」
「もーー!!!!」
「いやぁーーー!!!!」
子どもからしたら、毎日は人生を使った実験です。
初めての事ばかりや慣れないことばかり。
どんな失敗であれ、「成果」であり、成功への糧です。
その事実自体に対して、「否定」や「比較」「罰」を与えたら
どうなるのでしょうか。
挑戦自体を辞めてしまうのだと感じます。
保育園では、何かをこぼしたり落としたりしても、
怒られませんし、罰せられません。
雑巾の使い方、拭き方を教えてくれたり、
最初は一緒に拭いてくれたり。
そして、本人が出来るようになっていくこと、
成長自体を喜んでくれています。
そのプロセスの中で本人が獲得していく
失敗に対するフォローの仕方を都度都度喜んでくれる存在。
それは、その見守る本人が
「失敗」を「罪」や「罰」ではなく、「喜ばしい成果」だと
思っているのだという事だと思います。
自分の中にある「失敗」に対する刷り込みが
子どもの主体性や挑戦に関わるだけでなく、
失敗に対する価値観までも植え付けてしまいかねないという事を
改めて学ぶ機会となりました。
これは、子どもに対する姿勢だけではなく、
自分自身に対しても、周りに対しても同じ事なのだと感じます。
失敗に対して「否定」や「罪」「罰」を与えていないか。
自分を見つめる良い機会を頂きました。
ミマモリスト
眞田 海