今日、お客様の園で一円対話を実践した際に、
リーダーの先生からこんな声を頂きました。
「一円対話では、相手を丸ごと認めるとありますよね。
保育でいえば、それって本当にそうだなと思うんです。
子どものことを丸ごと認めるって基本だなと思うんです。
こうなってほしいという願いに近づけようとするよりも、
そのそのものの存在を認めるということですよね。
でも、大人同士はどうなんでしょうか。
大人も一緒なんですかね。なんだか、大人に対する目線は、
「こうなってほしい」「こういうところが足らない」
そんな風にばっかり見えてしまうんですけれど、
本当は、大人も同じようにその人の存在そのものを認めるということが
大事なんじゃないかなと感じました。」
私自身もその気持ちがとても共感できます。
ひまわりの種に、バラになってほしいと願ったり、
香りが足りないというよりも、
ひまわりの存在そのものをよく見て、
ひまわりの素敵なところやすごいところを理解したり、
知ろうとする自分の姿勢のほうが、ずっと大事なような気がします。
ひまわりがあるがままに育つのと、
バラになろうとして命を使うのとでは
どちらが幸せなのだろうかと感じます。
相手のことを知ろう、丸ごと受容しよう、
長所を見よう、感謝しよう。
そんな実践の中で、自分自身のことも分かってくるように感じます。
自分が何の種を持っているのか。
自分があるがままに育つためには。
同じ眼差しを大切にしていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海