今日、お客様から一円対話を進める中で
こんなご質問を頂きました。
「グループを決めるときに、
この人とこの人を組み合わせたいなと思うのですが、
そうやって決めちゃっていいでしょうか?!」
この人とこの人を組み合わせた方がいいんじゃないか。
こういうことを本人たちに目的を持たせて体験してもらったらいいんじゃないか。
そんな思いから意図を持った組み合わせをしてあげたいと思うけれど、、、
だけれども、、、いいものなのか、、、
そう悩む先生に
「やってみてその子がそれを体験してよかったと思えるのならいいと思います。
本人たちがそれでしゃべりづらくなったり、オープンになりづらくなりますか?!」
とお聞きすると、
「あ、、、確かにそれは、ダメですね。。オープンにはなりづらいかと思います」
「意図があってこのグループ作られたなって思うかもですね。
あー、やっぱりそこですね!相手がどう思うかと考えると、
無理に狙いを持たずに、みんなが安心して納得していられるように
グループ作りは変に操作しないようにします」
そんな風にお話しくださいました。
「思いやり」というのは、相手が感じるものであり、
こちらが感じるものではないのだからこそ、
その「意図性」は相手が喜んだりオープンになったり、
居心地よくいられるようにと、
相手に軸足を置いて考えたものなのか。
大切なのは
「組み合わせた方がいい、組み合わせないことがいい」
ではなく、自分の我を省き、相手の心情や状態を丸ごと認め、
受け入れ、共感していくプロセスこそなのだと感じます。
先生が気づかれたことは他人事ではなく、、、
私自身の姿勢や行動が自分都合になっているところが
多々あるからこそ、私自身も先生の気づきを一緒になって
取り組んで深めていきたいと思います。
ミマモリスト
真田 海