忙しくなると、ついつい心の余裕がなくなってしまいます。
共感を忘れ、正しさや過去の事例、通例、様々な知識を使って
物事を判断したり、発言したり。。。
そんなことでは見守ること、寄り添う事どころか、
人を傷つけたり、悩ませたり、ふさぎこませたり、
孤独にさせてしまうのだと気づきます。
見守る保育では、本人が自ら発達する環境を用意するからこそ、
「待つ」ことが出来るのだと言います。
それは、「待てる」ことが見守りなのではなく、
「信じて待てる環境に時間と心を費やしたこと」が見守りなのだと思います。
だとすれば、自分は仲間やお客様、家族、、、
見守ろうと決めたのであれば、
信じて待てる環境に時間と心をどれだけ費やしているのだろうか。
誰かに寄り添うと決めたなら、寄り添える時間の使い方、
環境の作り方。まずはそこを改めるべきなのだと学びました。
生きる道を決めたからこそ、課題が明確になりました。
そして課題に対して無明になっていた時に、
有難いことにお客様やパートナーの皆さま、クルーから
真心の言葉を頂き、光明が差しました。
一時で変えようとせず、光の差す方へ
一歩一歩歩んでいきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海