一円対話の実践を通じて、学んできたこと。
それは、「思いやり」のように感じます。
席替えや自由のテーマを決めるのも、
皆さんの気付きを聴くのも、やり始めた当初は
話しやすそうなテーマや
席順が決まりやすそうなテーマばかりを選んでいましたが、
その行動の中心には
「質の高い一円対話にしたい。」
「良い気付きをみんなに話させたい」
「自分が持ってきたテーマで盛り上がってもらいたい」
と、参加者に求める気持ちが実は大元にありました。
それが、月日が経つにつれ
「みんなの気づきや学び合いの邪魔をしないように」
「みんなが話したいテーマに少しでも近づけるように」
「一円対話の場を通して、皆で働ける喜びをかみしめられるように」
と参加者に求める気持ちがなくなり、
今、自分に出来ることを精いっぱいしよう、と言う気持ちへと
変わってきています。
求めたときにはいくら待っても現れなかった世界が、
求めることを辞めたとき、時に感じたり、見ることが出来るようになりました。
それは、我が子へのまなざしでも同じなのかもしれません。
{それはダメだよ」
「もっと優しくしてあげないと」
「ちゃんと丁寧にやらないと」
「普通はこれくらいは、、、」
と、子どもに求める気持ちがあればあるほどに、
子どもはそれを察して、そのプレッシャーに委縮したり、
もしくは期待に応えようとして頑張り過ぎてしまって、
自らの意欲関心が、「それ自体」がやりたいかどうかよりも、
「親の期待」に応えることにシフトしてしまったり、、
と、あまり良いことはありません。
子どもに求めるのではなく、本人が安心して自分らしさを出せるように、
自らが自らの意志で挑戦し、立ち上がり、また歩み続けるように。
そんな環境に少しでもなれるようにと心を配ること。
簡単な事ではありません。
今も上手には出来ません。
それでも、一度しかない人生。
やはりその道を歩みたい。
そう思います。
ミマモリスト
眞田 海